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  ぱ か ぱ 〜 じ ゅ 📖

トウキョウソナタ

おなじ年に友人がふたりも病気で死んでしまって、五年。

毎年命日ちかくになるとそのうちひとりのツイートがまだ残っているのをみる。

 

 

だれかについていつも想い出すイメージがあるように、私についてだれかがいつも想い出すイメージというのがあるのだろうか。きっとあるのだろうけれど、それがどんなイメージなのか、ひとつも想像もできない。

 

 

 

 

さいきん、研究について、はじめてかんがえるようにして考える。

 

 

 

早く死んでしまった友人とはちがって、生きながらえていて、まだ生きつづけるならばそのあいだは、死者たちの言葉を、無器用にでも、いい加減にでも、てきとうにでも、すこしずつでも、巧みにでも、丁寧にでも、しっかりでも、たっぷりでも、読んだり拾ったり、つついたり裏返したり、撫でたり擦ったりしていこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウクライナの戦争に行った日本人の二十代の男性が戦地で死亡したという。

帰国後、授業で少しだけ時間をとって、ドビュッシーを紹介するのにあわせて、黒沢清監督の『トウキョウソナタ』を扱うことを十年ちかくつづけてきた。だれかがこの映画をいつかみますようにと願ってきた。授業でその話を直接したことはないが、この映画には、人の役に立ちたいとアメリカ軍に入って戦地で命を落とす日本人の青年がでてくるから、その青年の行動のフィクションの性質によって、なにかを感じたり考える機会になるだろうという思いがあった。そうこうするうちに、日本人の青年が戦地で死亡するということが現実となる時代がきた。

 

 

 

 

この映画には香川照之が重要な役で出演している。

 

 

そういえば、小出恵介が復帰という芸能ニュースをみかけた。

 

 

新井浩文はどうしているのだろうか。

 

 

 

 

 

Facebook を開いたら、凍えたようすの少女がうつしだされた。雪が髪の毛を凍りつかせているようにみえた。ウクライナアフガニスタン、シリアなど、氷点下となる季節がはじまったという。

 

 

 

 

 

メモとおもえば更新できた。