細々とした仕事がずらりと目の前に差し出されたような気分になった12月のはじまり。
気温がさがったけれど、冬のコートはまだ着ずに、それでもジャケットのしたに一枚カーディガンを着てでかけた。やっぱり途中で暑くなって、冬のコートはまだいらないかとおもったけれど、帰りはけっこう寒い。寒いといってもすぐに汗ばむ。
今、寒い。八度。
今の住まいに引っ越してきてから、いっぺんにとはいかないので、少しずつ、本棚を増やしている。そして、あらたに本棚を用意したのがおもいのほかはやく届いた。うれしい。
あしたから、本の配置がえをすこししたい。
本はぴしっと並んでいた方がきれいなのだけれど、どうやら私は、本が少しかたむいて、隙間をつくったりして並んでいたりするところがあったほうが、本が呼吸をしているように感じられてすきらしい。でも、人が見たら、滅茶苦茶だなあ、とおもわれるのだろう。
こうして綴りつつまぶたが落ちてくる。
そういえば、今日の帰りの電車でまたのりすごした。
ジャン・ルノワールの1928年の映画『マッチ売りの少女』。
このサイレント映画のわずか11枚の字幕(アンテルティットル)のなかに un trouble fête という単語が出てくる。これは辞書だと un trouble-fête というようにトレデュニオンでつながれていて、「興ざめな人間」「邪魔者」「興ざめさせる人」「しらけさせる人」などとある。この表現、知らなかった。映画のなかでは死神をさす。
ジャン・ルノワールはピエール゠オーギュスト・ルノワールだといっても、学生たちは後者も知らないケースがほとんどだ。何についてもそうしたことが多いので、だったらとおもい、専門家ではないことは気にせずに、気楽にあれこれと紹介をする。
20年前、20世紀、とくに20世紀後半の作家を研究することは、新しい作家を研究することとイコールであったけれど、20世紀も、今ではもう少しも新しくない。いつでも手に入ると思っていた本や資料も、そう簡単には手に入らなくなっているものも多い。
ちかごろまた、寝つきがわるいし眠りがあさい。
今夜は眠れるといい。