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  ぱ か ぱ 〜 じ ゅ 📖

きれいな文庫

昨日まで、今ひとつ調子がでなくってのんびりしていたのを、何とか切りあげて、仕事に時間を費やして過ごせた。

 

お正月料理は、実家でごちそうになって、うちではお雑煮しかつくらず、今年は、小豆も茹でなかった。春までに一度はあんことお赤飯をつくりたい。パコさんの長崎の実家から、かまぼこやハム、数の子などのおいしいのが送られてきたので、それを並べたら、華やいだ。

 

 

さいきん、武田百合子が『富士日記』でなぜ食べもののことを書くのかがわかるような気がしてきた。ここまで書いて、そういえばと、さいきんはじめて行った新しくできた小さな本屋で武田百合子の本を何か買ったのにそのまま放り出していたことを思い出した。それで腰をあげたら、案外すぐちかく、読みかけの文庫ばかりを並べたなかにきれいに収まっていた。

 

パラパラと開いてみた。

 

「私は何かにつけ、やたらと吐く。吐いて気が遠くなってしまう。」

 

という文章に目が留まった。

 

ことばの食卓』。引用は嘔吐を話題にしているけれど、とてもきれいな文庫だ。野中ユリの画が短編エッセイの途中にいくつも綴じこまれている。

 

私のことを言えば、引越の多かった子どものとき、転校先の学校の校内で、あともうひと息で何とか自分の身体を環境に馴染ませられそうかもしれないというような時期に、どうしても一度ずつ吐いてしまうようだった。たしかに、そう思っていたのだけれど、おや、今思い出そうとすると、一度しか思いだせない。一度しか吐いていないのかもしれない。いや、忘れてしまったのかもしれない。