よしよし、グーグー
眠れることはよきこと。
ほんとうに、眠れることはよきこと。
眠れなくてもめげてはならぬぞ。
ところでさいきん、なかなか面白くない映画をみた。まあ、でも、眠くなったし、わるい映画ではなかった。やりたいことをやれるならやるのがいい、というメッセージをうけっとったような気分になる映画だった。こうしたメッセージをこれまで幾度も受けとっては、そのままだな。
ひと探しについて。一件、ふたたび新たにありがたい連絡が届く。
うまくいけばいいけれど、現状をみるとわからない。
つかれを癒やそうと思って『グーグーだって猫である』の3巻をすこし読んだ。大島弓子先生はせっせと拾ってきた猫たちを引き取ってくれる人を探していた。いろいろあったが、5匹、みんな引き取ってもらえていた。大したものである。
この漫画の最初の2巻をパリまでもってきてプレゼントしてくれたひとがいるのだが、『グーグー』に描かれる大島弓子先生の話し方が、その人の話し方とあまりにもよく似ているということに気づいた。その人も、ひと探しに大いに協力してくれた。
その人は人にもやさしいが、猫にもやさしい。フランスで一緒に旅をしたときに、しゃがんでよしよししているところをみたことがあるのだけれど、本当にやさしくしていて、そのようすに感動したことがある。私はひとにも猫にもたぶんあまり上手に「よしよし」できないような気がする。
そういえば、先日、ふらりと入ったレンタル屋さんの中古販売コーナーで映画『グーグーだって猫である』の特別版 DVD が売っているのを見つけて、つい買ってしまった。『グーグーだって猫である』は小泉今日子の映画版も宮沢りえのドラマ版もどちらもすきだが、いちばんすきなのは、これは方々で語っているが、映画版の予告篇である。
……そんな私はおきのどくさまの猫アレルギーなのだ。