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  ぱ か ぱ 〜 じ ゅ 📖

独活

シネマテーク・フランセーズで行われた黒沢清監督とレオス・カラックス監督の対談の動画が公開された。 よろこんで読もうと手にしていた本を放り出して、すぐにみて歓喜

 

www.cinematheque.fr

 

通訳さんもまたすてきだった。

 

 

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そうそう、私はフランス語会話が苦手なことを克服しようと三ヶ月前に心に(いや、たしかこのブログで)誓ったのだけれど、道は険しい。ひとまず、問題点と向きあうことからはじめている。

 

 

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パコさんは相変わらず料理の腕をあげていて、さいきんは、旬のものをとりいれることに熱心である。うどとふきをおいしく調理してくれた。

 

 

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うどというのは「独活」と書く。

「うど」というと小学校の想い出がかならずうかぶ。

暴力教師の思い出。

 

六年生の担任で、土井たか子ずきの年配の女性の先生だった。

 

自分の風貌が土井たか子に似ていると自分で思いこんでいる人だった。「やるっきゃない」とよく言っていた。教室の後ろには「あきらめません、勝つまでは」を墨で書いて掲げていた。どんなパロディーかと、まったくなさけなかった。土井たか子にもいいめいわくだ、……なんて、当時はそんなことはわからなかった。

 

土井たか子ずきのその先生は、とにかく、どう考えてもめちゃくちゃな人だった。おかげで、話し出すときりがないくらいいろいろめちゃくちゃな体験をさせられた。

私が小学校から中学校にあがるくらいの時代は、ちょうどぎりぎり体罰が禁止されていなかった時代にあたる。場所は山口県。私は四年生の時に東京から引っ越してきて、六年生になっても転校生気分のまま過ごしていた。転勤族の子どもたちというのは、多くがたいへんなカルチャーショックを経験する。私もそうやって育った。

 

先生は、今思えばやたらと口がわるかったのだと思う。いろんなことをいっていたけれど、「うど」の話だけにしよう。長くなるから。

「独活の大木頭がぱー」という表現をいきなり投げつけられた。

えっちゃんとわたしは背が高い方の二人で、ちょうどそのとき席が隣だった。

仲良く座っている二人の背の高めの小六の女の子に、独活の大木頭がぱー、と言ったのだったかどうだったか、「おまえたちは独活の大木か!」とか、そんな感じだったかもしれない。一度ならず言われたのかも知れない。

その表現を先生が使うのを、ときどき耳にしてはいたけれど、自分にとんでくるんだからやれやれだった。自分に飛んでくると言えば、授業中に竹の棒であたまをやられたり、軍隊のような行進中に、うしろから足をけられたり、まあほかにも。

こまった人だと思っていたけれど、それ以上に、こまった学校だと思っていた。