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蚤の市のザジ

 

悲劇が奇跡にいいかえられるのは希有な出来事だ。かったらしい、といったサッカーの日本代表にとってのワールドカップの初戦はドーハだった。

 

 

ドーハの悲劇と呼ばれる出来事は、当時高校生だった私にとってもダイナミックなドラマだった。ワールドカップ出場を目ざす代表選手たちの熱量に、心を大きく揺さぶられ、少なからず影響を受けた。象徴的な意味で、自分も広い大地を駆けめぐり、そして広がる空を仰ぎたいとおもった。ドーハの地に膝を落とした選手たちは、サッカーのルールもよくわからない自分にも、文字どおり、夢をみせてくれたのだった。悲劇と呼ばれた敗北が、それ自体によって、出来事の夢のイメージを記憶のなかに強烈なやり方で収めることになった。あれから29年、ここ10年は試合もみず、当時の選手の一人が監督になっていたことも知らずにいた。

 

 

何かに堪えて20年、そこにおよそ10年プラスすると、何かが生まれることがあるかもしれない。地道にゆこう🐢

 

 

 

 

さっきNetflixで公開されたばかりのドラマ『First Love 初恋』の一話をみた。二話目を続けて見ずにはいられない、というような勢いがないのが、今夜の自分にはなじんだ。

 

 

 

 

ル・クレジオLe rêve mexicain が届く。

 

 

 

 

そして、あいかわらず、日本語の小説も数ページ。今夜のはすこしおどけたような文章で、活字が丸っこく見える。そうおもって、閉じた本を開いてみたら、とくに丸っこい活字ではなく、そのかたちは、すうっと細かった。

 

 

 

今日は夜帰宅するまえからいやに眠かった。

 

 

 

アンデルセンのことを考える。

 

 

 

今朝、学生が「蚤の市」というのを知らないと言うのを聞いて驚いたけれど、でも、では私はいつ、「蚤の市」を知ったのだろう。案外、映画『地下鉄のザジ』をみたのが最初だったりするのかもしれない。人さらいにジーンズを買わせるザジ、という設定が今でも好きだが、はじめてみたとき、ひどく眠くなって困惑したのをよく覚えている。知らないのか、とおもって驚くのはやめよう、と改めておもう。あらゆることにかんして、そういうときは、私だってたいして知らない。