連休最終日の夜。
けっきょく連休のあいだの映画館での映画は3本だけ。ゴダールに通うのはあきらめて、事務仕事と授業準備にあまんじて、いちばんだいじな仕事はおそろかに、論文どころではなく過ぎた。
まあでも、ソクーロフははやめに行っておいてよかった。ダメージも大きい映画だけれど、ソクーロフをもうちょっとみたくなった。イッセー尾形の『太陽』をみたのはパリで、もうずいぶん前のことだけれど、ソクーロフの特徴を感じさせるモノクロのイメージがまるごと凝縮されたのが『Fairytale』、『独裁者のとき』だった。この映画がきもちわるいのは、独裁者たちが勢揃いで映しだされるからかというとそうでもない。きもちわるいのは群集のイメージだ。独裁者たちは徹底して滑稽にしか描きだされていない。この徹底ぶりがソクーロフが自分の表現を守る方法なのかもしれない。といっても、ソクーロフ作品はほとんどみていないから、わからない。特集で上映していたみたいだけれど、気づいた今は、もう終わってしまうのだろうし、時間はとれそうにない。
それからダニエル・シュミットの『書かれた顔』。シュミットは私の肌にはもともと馴染まないと感じているので、却ってのどかな気持でみた。大野一雄の踊りが久しぶりで、いろんな感覚をおもいだした。自分の感覚を自分ですすんで押しつぶしたくないとおもった。
三本目は、たのしみにしていたミア・ハンセン゠ラヴ監督の『それでも私は生きていく』。
原題の「うつくしい朝」を意味する un beau matin は、慣用表現で「(未来の)いつか、(過去の)ある日」をあらわす。
みているときよりも、みおわってから気づく、素晴らしい映画。持続的にこころに反響する映画。
さて明日はおねぼうしたらいけない。
今朝、こんな夢を見たのだった。
教室に行こうと思ったら教科書がなくてなぜか自宅にとりに行って、授業時間に戻れないことに気づいて情けなくなるという、初心者みたいな夢。
あしたは雨らしい。
だけど、
うつくしい朝゠un beau matin ゠いつか
よい夢を。