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  ぱ か ぱ 〜 じ ゅ 📖

メエメエ 🐐

気づいたら、更新が10日もあいてしまった。

よくのぞいてたのしみにしているブログもほとんどみていなかった。

 

そうこうするうちに春分の日も過ぎちゃった。

 

 

イオセリアーニ映画祭には、なんとか通って21作品すべてをみることができて、ほんとうによかった。『唯一、ゲオルギア』を早い段階でみておいたのがよかった。イオセリアーニの作品をはじめてみたときとはまったくちがう自分に気づいた。さまざまな人間と一緒にさまざまな動物たちがあらゆる作品に登場するなかで、ヤギを眺めていると、つくづく、私はヤギだなあと思って心が寛いだ。

 

イオセリアーニの作品について考えたことは、ばらばらだからメモくらい残しておかないとまるごとわすれてしまうんだろう。

 

 

ざんねんながら、私は猫のような雰囲気ではないのだろう。ヤギもそうだが、さいきんではアルパカにも親しみを覚える。クリネオにも似ているみたいだけれど。

 

 

イオセリアーニ映画祭を二廻り目とゆきたいところだけれど、ひとまず少しでもとおもってサッシャ・ギトリ特集に足をはこぶ。久しぶりのギトリは、あいかわらずずっと喋っていてまあやかましい人である。それでも、見終わったあとには妙な満足感があるのがギトリの映画だ。『祖国の人々』のなかに収められた、ピエール゠オーギュスト・ルノワールが通風で変形した手に筆を布で固定して、息子のジャン・ルノワールに助けられながら絵を描く様子は以前、部分的に動画で眺めていたことがあったが、ギトリがまだ映画監督にはなっていない最初期に撮影したものだとは知らなかった、……ような気がする。……ちかごろ、自分が知っていたかもしれないことが、本当にそうだったかが曖昧になることが多い。モネの静かな暮らしについての説明がみごとで、心をうった。1915年にサイレント時代に撮影されて、ギトリの語りつきで上映された作品が、のちに何度も手を加えられて、およそ37年もの年を重ねたギトリ自身が解説者として登場する最終版は1952年、サイレント映画からトーキー映画へと変化しながら内容を豊かにしたという作品の変遷もおもしろい。